英語が入試の手段となり英語が好きと嫌いの生徒に二極化する

英語の楽しさが理解できず英語好きな生徒と嫌いな生徒に二極化

英語に限らず、およそ学問は学ぶ楽しさが無ければ学習の長続きも、また本当の意味での習得も出来ないと私は考えています。

 

また諺で、「好きこそものの上手なれ」と言いますが、学科、学問で、その分野が好きになる、興味を持てば、さらに知りたい、習得したいと考えるものです。

 

 

英語が出来る出来ないの二極化

英語好き生徒と嫌いの二極化

英語好き生徒と
嫌いの二極化

逆に嫌いになってしまう、嫌悪感を持ってしまうと、アレルギーにも近い拒否反応を示してしまうものです。

 

日本の学校で行われている英語の授業は、まさにこのような課題を抱えており、英語に抵抗が無い生徒と、抵抗を感じる生徒の二極化が発生しているといわざるを得ません。

 

英語の音に慣れ、英語で理解し、英語で答える、話すことができるようにしていけば、指導する側も、また教えられる側も、もっと英語が楽しい学習になると多くの英語学者も指摘しています。

 

英語は何のためにに学習するのか、指導する側はもっと真剣に理解すべきだと思われます。

 

入試のための手段として扱われる学問

確かに人間社会では競争というものが存在し、その競争社会の中で人類は発展をしてきました。

 

競争心理というものは非常に大切なものではありますが、英語に限らず学問のフィールドでは、その競争原理をそのまま当て嵌めることには、いくらかの弊害が生じることも事実です。

 

競争に打ち勝つ、他社よりも良い成績を取る、そしてよりランクが高いとされる学校、就職や昇進に有利な有名校に進学する…

 

そのための手段として学問全般が取り扱われていること自体が、日本の教育制度の根本的な問題と弊害であり、英語という文化であるものが、日本の学校では単なる入試のための手段として教師も生徒も受け止めていること、現実的に扱われていることを見直さない限り、英語嫌いの生徒が今後も絶えないと、私は考えています。

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